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南海沿線にある漁港および周辺地域の魅力を伝えるウェブマガジン

泉佐野発 伝説の漁師が見つめる
日本の漁業 (後編)

2015.09.23

最寄り駅:南海本線 泉佐野駅

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(→前編はこちら)

底引き網漁の伝統を受け継ぎ、現在もその漁法では大阪府下一番の漁獲高を誇っている泉佐野漁業協同組合。そこで組合長を務める高倉智之(たかくら ともゆき)さん(48歳)は、大阪湾の漁師さんたち誰もから「底引き網漁でトップの腕前」と認められている凄腕の漁師さんだ。前編では、そんな高倉さんから佐野漁港での底引き網漁の話や、大阪湾が豊かだった頃の様子を伺った。

その後、大阪湾での漁業はどのように変化していったのだろう?そして高倉さんは、今の、これからの漁業にどのような思いを抱いているのだろうか?

大阪湾の豊かな魚を取り戻すために

高倉さんが漁に出て、魚が減っていると感じ出したのは関西国際空港が開港してから。続いて神戸空港、さらに夢州・咲州などの新島埋立事業が進むにつれ、大阪湾の魚の量はどんどん減少していったという。

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 “埋め立ての度に大阪湾の潮の流れが変わっていったんやね。湾の中で海水が循環できへんから、魚のエサが減るし、どんどん海も汚れていく。「このままではあかん。今のうちに何とかしよう!」と各漁協に声をかけてみたけど、なかなかみんな乗り気になってくれなくてね。海が汚れ始めた当時は、まだみんな先のことがあんまり見えてなかったからね。”

しかし、大阪府漁連の2代目会長が高倉さんの思いを受け止め、バックアップを名乗り出てくれたことから状況は好転。ようやく4年前から、高倉さんが各漁協に働きかけていた「海底耕耘」の取り組みが実現した。

「海底耕耘」とは、特殊な爪の付いた機械を使って、海の底を畑のように耕す作業だ。海底上部に堆積してしまった汚泥部分を海底のきれいな砂と入れ替え、酸素を送り込む。そうして魚が住むための環境を整え、稚魚を育てることが目的である。
この「海底耕耘」は、大阪府漁連に所属する24の漁協がそれぞれに漁業権を持つエリアを担当し、年に1〜2回行われている。高倉さんは海底耕耘を行った後、ダイバーとなり海に潜ってその効果を観察するという。

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 “耕耘すると海の様子がほんまに変わるよ。海の底一面に広がっていたドロの間からきれいな砂が掘り起こされてね。魚のエサも海底から上がって来るから小さな魚も増えてくるし。本当は月に一度できたらもっと効果が上がるんやけど、大掛かりな作業でね。無理をせず、じっくりと取り組んでいくしかないね。”

漁師さんの収入はここ2年間あたりでやっと下げ止まり、今年はようやく少しだけ上向いたという。地道な作業の継続が、少しずつではあるが実を結び始めているようだ。

泉州の魚のおいしさを子供達に発信

魚の漁獲量が減少するということは、漁師にとって何よりの痛手だ。しかし、魚の消費量が増えれば、獲れ高が少なくても魚そのものの価値を上げることができる。そんな思いから、泉佐野漁協では泉佐野市と提携して、およそ15年前から小学生を対象とした「地引き網体験」を行うようになった。

 “いまの子供は魚ばなれしてるでしょ。生きている魚を見た事がない子も多い。それで、地引き網で魚を知ってもらって、その後にはバーベキューで本当においしい魚を食べてもらおうと。子供が魚を好きになったら親が魚を買ってくれる。そうなると魚の消費が増えるだろうということでね。”

地引き網体験は年に2回、泉南市のマーブルビーチで行われる。砂浜で、沖に仕掛けておいた網の綱を200人がかりでいっせいに引きあげると、確かな手応えとともに、ピチピチとはねるたくさんの魚が姿を現す。
獲れた魚はすぐさま仮設の大きなプールへ移動。子供たちが手づかみ体験をしながら、魚の種類や名前を学ぶことのできる楽しい時間だ。

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高倉さんは、切身になって売られている魚ばかりではなく、獲れたての魚を子供たちが食べることのできる機会が各地で広がることを願ってやまないそうだ。
地引き網を体験した子供たちから「おいしかった!」という声を聞く事が、きっと、この取り組みを15年も続けてこられた原動力となっているのだろう。

複雑に絡み合う、これからの問題

全国の多くの漁港で、後継者が育たないことが問題になっていると聞いた。ここ、泉佐野漁協ではどうなのだろうか?

 “泉佐野もよそと同じ。30代の漁師が7〜8人、20代が5〜6人。あとは50代以上の漁師ばっかりやからね。だから今から10年後のことを考えると恐ろしいね。後継者も心配やけど、組合員の数は今の半分以下になるやろうから、その時にこの組合を運営していけるのかなと。規模の縮小とか、他の漁協との合併とかも視野に入れて考えないと。”

高倉さんの20歳と22歳になる息子さんも、父親の背中を追ってこの泉佐野漁協で漁師として働いている。組合長として、父親として、次の代を憂える気持ちは大きいが、まずは儲かる漁業にしなければ若手は育たないというのが高倉さんの持論だ。

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 “この間、三重県漁連の人から、漁師になりたいと大阪から修行に来ている若者が5人いるっていう話を聞いてショックでね。三重県は日本で二番目に漁獲高が多いから、若い漁師でもきちんと収入を得ることができる。大阪は特に魚の量が減っているから、本当に難しい問題やわ。”

大阪湾の漁師が豊かに生活できる環境を整えるために。気の遠くなるような話かもしれないが、小さな取り組みをひとつひとつ積み重ねて行くことが大切だと高倉さんは語る。

若い漁師に未来をつなぐために

泉佐野漁協の敷地内には「青空市場」という鮮魚店を中心とした商業施設があり、連日にぎわいをみせている。
高倉さんは、この「青空市場」で購入した食材をその場で食べてもらいたいと、泉佐野市の協力を得て、漁港の敷地内に「海鮮焼市場」を誘致した。

 “一日中、港で遊んで帰ってもらえるように施設を充実させていきたいと思ってね。ただ、現状では、何事も漁協単独で行っていくのには無理がある。この「海鮮焼市場」みたいに行政の力を借りて、いろんな策を実現していきたいね。”

その一方、高倉さんは、自分たちの漁協だけにこだわっていてはいけないとも考えている。日本全国で各漁協の規模が小さくなりつつある今、漁師がひとつにまとまらなければいけない時期が来ていると感じるからだ。
だからこそ、大阪府の各漁港の漁師と毎日のように電話で連絡を取り合うことを欠かさない。さらに自らが率先して、淡路島など同じ底引き網漁の伝統を持つ漁師との交流会も行っている。

 “自分たちの港しか知らずに現状で満足してたらあかん。僕がそうして成長できたように、よその港の話が聞ければ、漁や魚の手入れの技術も上がっていくし、いろんな仕事が生まれるかもしれない。僕たちの世代がパイプ役になって、みんなが交流できる環境をいま作っておかないと。そうして若い漁師たちが港を超えてつながるための道筋をつけてあげることが大事なんと違うかな。”

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各地の漁協が連携することで、魚の物流システムを改革することができるのではないか。そんな仕掛けづくりもこれから考えていきたいと語る高倉さんは、大阪湾を出て日本の漁業という大海原をめざす、ビッグな漁師なのだと感じずにはいられなかった。

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