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南海沿線にある漁港および周辺地域の魅力を伝えるウェブマガジン

堺に今も残る海水の銭湯を訪ねて
〜湊潮湯〜 (前編)

2016.01.06

最寄り駅:南海本線 湊駅

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南海本線「湊駅」からおよそ3分。御陵通りを海側に向かって歩いていくと、大正12年から90年以上も続く、大阪府内でただ1軒の海水を使った銭湯「湊潮湯」がある。
現在の建物は平成18年に改築されたものだが、創業当時と変わらない外観の瓦屋根が「湊潮湯」のシンボルマークだ。
この銭湯を切り盛りしているのは、先代の父親の後を継いだ3姉妹。珍しい海水のお風呂について、その歴史を振り返りながら、次女の杉坂喜美子(すぎさかきみこ)さん(74歳)から話を伺った。

漁師たちにも愛された、身体も心も温まる社交場

 “ここはもともと、漁から戻った漁師さんが身体を温めるために造られたんやそうです。海水はよう温まるからね。
それに昔はお風呂のあるお家が少なかったし、今と違って銭湯は娯楽の場やったからね。みんなで寄っておしゃべりするのが楽しみで、私らもよう通ったもんですわ。”

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先代である喜美子さんの父親が「湊潮湯」を経営することになったのは、昭和に入り、戦後すぐのこと。動乱の時代の中、経営を続けていくことが困難になった元の経営者から、買い受けの話が持ちかけられたのである。

  “父は「湊潮湯」が大好きで毎日のように通ってたんです。せやから、この銭湯をなくしたくなかったんでしょう。運のいいことに、父の竹馬の友に銭湯で働いてた人がいはってね。買い受けた後、その人がボイラー係を引き受けて父と一緒に働いてくれたから、ここをやっていくことができたんやね。”

堺臨海の埋立工事が決定する中で

現在の「湊潮湯」周辺は、幹線道路に囲まれた住宅街となっているが、〝出島海岸通り〟という地名が表すように、その昔は銀砂の海岸がすぐそばに広がっていたそうだ。そのため、海水をくみ上げて風呂を焚くことは、そんなに大変ではなかったという。

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しかし、昭和30年代に入って状況が一変。堺に巨大なコンビナートを造るため、海沿いの埋立工事を行うことになったのだ。
そうなると、当然、「湊潮湯」が海水をくみ上げていた場所も埋め立てられてしまう。そこで先代は、慣れない図面を引き、埋め立てられる土中に海水をくみ上げるパイプをひくための申請書を作成。行政や漁協に掛け合い、海の沖合2.5キロメートルの場所から「湊潮湯」までつながる鉛管パイプを通したのだという。

 “パイプは旧の国道26号線や臨海道路の下を通って、ずっと海まで伸びてるんです。地下には水道管とかガス管とかもあるでしょ。せやから、まっすぐではなく、ぐねぐねと曲がりながら海に届いてるんやね。もう掘り起こすこともできへんし、今の時代やったらお金がかかり過ぎてできへんかったやろねぇ。”

こうして、大阪府下でただ1軒の潮湯として、「湊潮湯」は現在まで守られてきたのである。

海から湯船に海水のお湯が届くまで

「湊潮湯」を初めて訪れる人には、海水を運んできて温めているのだと思っている人も多いそうだ。私自身も、まさかここから海の沖合までパイプがつながっているとはまったく想像していなかった。
では、パイプを通った海水はどのようにして「湊潮湯」の湯船まで届くのだろう?

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 “この建物の隣に貯水タンクがあってね。それでもタンクには2トンぐらいしか入らへんから、朝の9時から夜の11時まで、モーターを使ってずっと海水をくみ上げてる状態なんやわ。そこからろ過機に通して、海水の中のいろんなものを取り除いてから、ボイラーで熱して給湯するんです。”

実際にボイラー室を見せてもらうと、地下のボイラーから浴場に向かって複雑にパイプが伸びている。ろ過された海水は、このパイプの中を流れて熱循環されながら湯船に届くそうだ。一見、普通の銭湯とあまり変わらない構造に見えるものの、このパイプは元をたどれば数キロ先の海までつながっているのである。

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地中に隠れたその光景を想像するとなんとも壮大で感慨深く、それを成し遂げた先代の熱い思いまでもが伝わってくるかのようだ。

〈写真提供〉※1 湊潮湯

(→後編に続く)

<岡田漁港で希… 出島漁港の記事大阪産「泉だ…>

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磯の香り 湊潮湯

大阪府堺市堺区出島海岸通り1-2-13
最寄り駅:南海本線 湊駅より徒歩約3分
[営業時間]15:00〜23:00
[休業日]水曜日
TEL :072-241-9676
http://www.eonet.ne.jp/~minatoshioyu/